第一部 はじめに
多くのスタートアップにおいて、アーリーステージ(プロダクト投入段階)以降の資金調達の主力はベンチャーキャピタル(VC)からの出資となりますが、VC等からの出資では、多くの場合「優先株式」で出資を受け、詳細な「投資契約」をVC等と締結します。この「優先株式(の要項)」「投資契約」は、ただでさえ長大なうえ、個々の条項も複雑で見慣れないものですので、この分野に習熟した人でなければ、理解に相当時間がかかると思います。
他方、現在のベンチャーファイナンスの実務を考えると、資金調達にVC等を利用する場合「優先株式」「投資契約」の利用は避けられないと思います。また、投資契約の条項は、今後の会社運営やイグジットに大きな影響をもたらず、スタートアップとして非常に重要なものですので、言わずもがなではありますが、内容をしっかり理解したうえで締結することが重要ということになります。とりわけ、一旦合意した投資契約の条項を次回以降の資金調達ラウンドでスタートアップ側に有利に変更することは現実的には難しいため、最初の投資契約によるファイナンスの段階で十分な吟味をして締結するのが望ましいといえます。
一方で、現実問題として、スタートアップが、ファイナンスの検討にかけられる資金・時間は限られているのが通常だと思われます。そのようなことから、スタートアップの経営者の方が、まず優先株式や投資契約について全体像を理解できるよう、できるだけ平易に解説したものがあれば有用だろうと考え、このコラムを執筆しました。外部の専門家の助言を受ける際においても、事前に内容の大枠を理解し、ポイントを絞って専門家に聞くようにすれば、時間・費用の効率を増すことができると思います。今回のコラムの記述が、このような意図をうまく反映できているかはわかりませんが、もしお気づきの点等あればご指摘いただけると幸いです。
なお、このコラムは、理解を容易にするため噛み砕いて説明することを最重視して記述していますので、内容の厳密さは相当程度犠牲になっている点、ご理解いただければと思います。特に、法的な概念は、法律専門家でない方にはなかなか理解しづらい面があると思いますので、できるだけ法的な専門用語を使わずに解説しています。また、法律用語の説明が必要な場面でも、厳密な法律上の定義ではなく、厳密さは犠牲の上、理解しやすいように平易に書いています。このため、法律専門家の方やこの領域に詳しい方が読まれた際は、所々違和感を感じてしまうかもしれませんが、そのような背景だとご理解いただければと思います。
第2部 優先株式
1.優先株式とは
「優先株式」とは、株主が会社から受け取る金銭等の受け取りについて、「普通株式」より優先する株式をいいます。株主が会社から受け取る金銭等とは、具体的には、利益配当や、残余財産分配(会社を畳んで清算する場合に、債権者に債務の支払いをした後、まだ会社に財産が残っている場合は、会社のオーナーである株主に分配するのですが、それを「残余財産分配」といっています。)のことです。ちなみに、「普通株式」とは、会社の基本となる株式であり、スタートアップの創業者・経営者が持っている株式は通常「普通株式」ですし、証券取引所に上場している株式のほとんどは「普通株式」です。
金銭の受け取りについて普通株式より優先する、というのは具体的にどういうことかというと、優先株式の発行要項(「発行要項」というのは、優先株式の諸条件を定めた文書です。)には、例えば、会社が配当する場合に、普通株式への配当に先立ち、優先株式に1株50円の配当をしなければならない、といった条項が入っていたりします。これは、配当に関する優先権ですが、この場合、会社が配当しようとしても、会社に50円超の配当可能財産がない限り、普通株主にはまったく配当できず、優先株主だけが配当を受け取れることになります。したがって、1株50円の部分については、普通株主より高い確実性をもって優先株主は受け取れる、ということです。これがとりわけ大きな意味を持ってくるのは、株主に1円も払えないほど会社の財産(留保利益等)がないわけではないが、会社に多くの財産(留保利益等)があるわけではない、という状況です。前者の場合優先株主も普通株主も全く受け取れないのでどちらでも同じですし、後者の場合、普通株主にも多額の配当や残余財産分配ができるので、50円分優先してもそれほど違いがないことになるからです。なお、配当を例に取り上げましたが、残余財産分配でも同様で、例えば、優先株について発行価額分と同額分まで優先株に優先的に分配する、という条項が発行要項で定められているとすると、債権者に全て債務を支払った後の財産が少ししかなく、優先株式の発行価額相当額を超えない場合は、優先株主にはある程度残余財産が分配されるが、普通株主には全く残余財産の分配はないことになります。
なお上記の説明は、優先株への優先配当額である50円を超えて配当する場合は、普通株主も優先株主も平等に配当を受け取れる(例えば、50円の次の10円は、普通株主も優先株主も受け取れる)ことを前提にしています。このような優先株を「参加型」の優先株と呼び、日本のVC投資ではこちらが一般的です。他方、優先株主は固定金額部分である50円しか受け取れない、「非参加型」と呼ばれるタイプの優先株も存在します。非参加型の場合は、会社に多くの財産がある場合でもこの50円部分しか受け取れないので、そのような場合に多額の財産を受け取ることができる普通株式よりも経済価値が小さくなる可能性もあります。(ただ、さらに付け加えると、VC投資で使われる優先株は普通株への転換権が付されており、その場合は、普通株主が多額の財産を受け取れる局面では普通株式に転換してしまうという手段があるため、そうするとやはり非参加型でも常に普通株よりも価値が大きくなります。)
ところで、スタートアップの世界では、配当がなされることは稀です。また、残余財産分配も、スタートアップが事業を終了して解散する場合に、債権者への弁済を経てまだ株主に支払える財産が残っている場面はそれほど多くないのかもしれません。そうすると、優先株でも普通株でも結局大差ないのではないか、という疑問も出てくると思います。
確かに、配当や残余財産分配それ自体の優先権は、あまり大きな意味を持たないかもしれませんが、実際には、M&Aによるイグジットの場合も、残余財産分配と同じ配分メカニズムで優先株主に優先的に配当することになっていますので、その局面で大きな意味があります。なお、(詳細については、会社法のややこしい議論になってしまうので立ち入りませんが)優先株の発行要項でその部分まで定められるのか、という問題があるので、「みなし清算条項」に関する合意を、投資契約、あるいは財産分配契約といった契約で、全ての株主間で合意するのが通常です。実際上、このようなM&Aによるイグジットの局面で、一定部分優先的に分配を受けられる、というのが、優先株の実際上の一番大きな意味ということになります。
なお、M&Aによるイグジットのケースを説明したので、IPOによるイグジットのケースもあわせて説明しますと、IPOによるイグジットのケースは、優先株式が残っていると基本的に上場が難しいため、IPO前に優先株式を普通株式に全て転換してしまいます。したがって、上場時は全て普通株式になっています。なお、優先株式を普通株式に転換する、というのは、優先株主から見ると、優先株としての優先権を喪失するので不利な話ではありますが(なお、参加型優先株であることを前提とした説明しています。非参加型の場合はもう少し複雑になります。)、そのマイナスを上回る株価上昇がIPOで見込まれるのであれば、優先株主としても転換に応じるメリットがあることになります。
最後に、優先株で投資を受けることに、経営株主としてはどのようなメリットがあるのか、という点を説明します。優先株は一方的にVC側に有利に見え、そうすると、経営株主側に何のメリットがあるのかという疑問も生じると思われるためです。まず、普通株式での投資は、VCとしてリスクが高すぎて応じられないという場面も考えられます。そうすると、優先株式を利用することで、VC等から資金調達が受けられるメリットがあることになります。また、VC等が普通株式での出資自体は可能だったとしても、なお、経営株主側に優先株式を利用するメリットがあります。これは、持分割合・議決権割合の維持です。同じ1億円の資金を調達するとしても、1株1000円で発行する場合と1株2000円で発行する場合とでは、出資者に譲り渡す必要のある持分割合・議決権割合が変わってきます。すわち、前者では10万株を発行するのに対して、後者では5万株の発行で足ります。普通株ではなく優先株にすることで、1株1000円ではなく2000円で発行できるとすると、持分割合・議決権割合の低下を抑えることができます。
持分割合・議決権割合の低下を抑えることで何が良いか、という点ですが、まずは(自明だと思いますが)経営株主が会社のコントロールを維持できる、ということです。なお、会社のコントロールという観点では、VC等による投資では投資契約を結び、そこで色々VC等に権利を付与しますので、実際には過半数の議決権を持っていたからといって会社を自由に運営できるわけではないですが、議決権割合を保持するというのは、会社のコントロールの基礎となります。これが、1番目のメリットになります。
もう一つは、経営株主の持分割合の低下を抑えることで、将来上場した場合の経営株主のキャピタルゲインが大きくなるということです。すなわち、仮に普通株式でVC等から同額の資金を調達していた場合は、持分割合が経営株主40%、VC等60%になるものの、優先株式で資金調達したことにより、経営株主の持分割合低下が抑えられ、経営株主60%、VC等40%になったとします。上場後のこの会社の時価総額が100億円だとして、経営株主の保有株式の価値は、前者のシナリオだと40億円、後者のシナリオだと60億円ということになり、後者のシナリオ方が大きくなります。すなわち、VC出資に優先株を活用することで、経営株主のアップサイドが大きくなるということです。(※なお、持分割合=経済価値と考えてよいのか、という問題もありますが、上場前にVC等の保有する優先株は普通株に転換されていますので、経営株主もVC等も同じ普通株式を持っていることになり、保有株式の経済価値は単純に持株割合に比例した金額となります。)
VC等は、ハンズオン投資を行っている場合でも、投資先スタートアップに対して及ぼせる影響力は限定的なので、出資者への説明責任の観点でも、下方リスクが相対的に小さい優先株出資が好まれますが、他方で優先株を利用することでVC等のアップサイドは抑えられます。他方、経営株主は、最もリスクの高い普通株で出資していることから、スタートアップがIPOに至った場合は大きなリターンを享受できることになります。
なお、1点参考として付け加えますと、伝統的な企業が優先株式を発行する場合、優先配当ができない場合を除いて優先株主に議決権が与えられない、無議決権優先株が多いのですが、VC投資の世界で使われる優先株は、普通株式と同様に議決権が付与されており、その点もVC投資の特徴的な点です(加えて、投資契約で、それ以上の経営関与権限が付与されることが多いです。)。もっとも、スタートアップでは優先配当をすること自体が稀なので、仮に一般的な無議決権優先株の条件で発行したとしても、優先株主には議決権が与えられるとは思いますので、実態としては大差ないとはいえます。
2.優先株式の発行要項のポイント
次に、スタートアップがVC等に発行する優先株式の発行要項を見る上での代表的なポイントを説明します。
(1)優先配当
スタートアップが発行する優先株式で実際に配当が支払われることは非常にまれであることから、重要な条項ではありませんが、発行要項上は優先配当の定めは置いておくことが多いです。重要性は低いものの、簡単にポイントを説明します。
(i)優先配当額
発行要項の中で、「株主に配当を行う場合、優先株式に、払込金額×〇%の額を、普通株主に先立って払う」旨を定めます。なお、「〇」%の部分は、はっきりした相場はありませんが、5%~10%程度が一つの目安ではないかと思います。
上記の通り、一般的には(実際に配当を払うケースが稀なので)重要性が低いですが、優先配当が行われなかった場合に、その分、残余財産の分配(やM&A代金の分配)の際に優先株式に優先的に配分される金額が増えるように設計する場合もあります。その場合は、優先配当率が、M&Aでイグジットした場合に優先株主に分配される金額に影響することになり、実際的にも重要な意味を持つことになります。M&Aでのイグジットの対価分配に影響するためです。
なお、この点は、次に説明する「累積・非累積」の選択にも関係します。「累積型」として、累積した優先配当分を、残余財産分配での優先配分額にも反映させるケースが多いと思われます。
なお、テクニカルな点ですが、株式分割が行われて株式数が増加した場合に、それに応じて優先配当額が増加してしまうのは不合理ですので、そのような場合の調整の定めを置いておく必要があります。以下、やや長くなってしまいますが説明します。
そもそもの前提として、「株式分割」について説明しておくと、株式分割は、例えば発行済みの1株を全て2株にする、といったことで、この場合、100株持っている株主は200株を持っていることになります。元の1株が新しい2株に相当し、配当も、素直に考えれば1株当たり従前の半分配当すればいいことになります。株式分割で新たな資金調達がされるわけではなく、会社の経済状態には変化がないので当然のことではあります。ただ、1株当たり5円とか、定額配当の志向が強い会社の場合は、実際上株式分割後も1株5円の配当を維持し、結果的に配当の総額が倍になったりします。何のため株式分割をやるのか、というと、スタートアップでは、一つには会社の時価総額が上昇し、1株当たりの株価が上がった場合に、元の単位のままだと、ストックオプション等で細かくインセンティブを付与するのが、単位が大きすぎて難しくなるため、単位を小さくする、という状況が考えられます。上場会社の場合は、株価が高くなりすぎて個人投資家の手が届かなくなってしまったような場合に、より手が届きやすい株価にして投資家を増やすため株式分割をしたりします。
優先株の場合を考えると、1株当たり500円の優先配当だった優先株について、1株を2株に分割した場合に、分割後の株式それぞれについて500円の配当を受け取れる(合算すると1000円の配当を受け取れる)というのは不合理です。株式分割の結果、経済価値が増えてしまうのはおかしいからです。このケースでいえば、配当の総額を元のままに維持するため、1株当たりの優先配当額を500円から250円に引き下げるべきということになります。
具体的な発行要項での書き方ですが、もともと、スタートアップの優先株式の優先配当は、「払込金額×〇%」という形で定められていますので、この払込金額部分を、株式分割を反映して調整するよう定めます。例えば、1株1万円を発行価格として優先株を発行し、後日1株を2株にする株式分割がなされたとすると、株式分割後は、発行価格が1株5000円だったとみなして優先配当額を計算する(株主は、株式分割後は1株ではなく2株持っているので、トータルでの優先配当額は変わらない)ようにします。分割後の株式から見ると、いわば1株当たり5000円を払込金額として株式の発行を受けていたような状況ですので、経済的には当然のことという気もしなくはないですが、ただやはり過去の払込金額は1万円ですので、明確に定めておく必要があるということになります。
(ii)累積・非累積
優先配当が支払われなかった場合に、次回以降にそれが累積していくようにするのが、「累積型」、累積しないのが「非累積型」です。
例えば、優先配当額を「払込金額×8%」とし、今期と来期に優先配当がなされなかったとします。「累積型」の場合、来々期の優先配当額はもともとの「払込金額×8%」に加え今期分と来期分が上乗せされるため、「払込金額×24%」となります。「非累積型」だと来々期の優先配当額額は「払込金額×8%」のままです。
繰り返しになりますが、スタートアップで配当がなされるのは稀なので、累積・非累積は、それ自体としてはあまり重要性はないといえそうです。ただ、別のところでも少し触れていますが、M&A代金の分配とリンクさせることで意味が出てきます。すなわち、「累積型」にしたうえで、残余財産の分配やM&A代金の分配に、未払累積額を優先的に優先株主に分配するように定めておく、ということです。
(iii)参加・非参加
普通株主にも配当がされた場合に、優先配当額に加えて普通株主と同様の配当を受けられるのが「参加型」、優先配当以外の配当を受けられないのが「非参加型」です。
日本のVC投資で一般的な「1倍参加型」を想定して説明すると、まず、優先株式への優先配当(1株500円とします)がなされたあと、普通株式にも1株600円の配当をしようとする場合、1倍参加型だと、優先株式にも同額の600円配当がされますので、優先株主は合計1,100円受け取れます。「非参加型」だと、優先株主が受け取れるのは優先配当の500円だけです。
(2)残余財産分配の優先
残余財産の分配での優先は、優先配当に比べて重要性が高いです。実際上「みなし清算条項」を通じてM&A対価の分配にも適用されるため、非常に重要性の高い条項になっています。以下ポイントを説明します。
(i)優先分配額
会社を畳んで清算しようとする場合、まず先に、取引先や従業員などの「会社債権者」に債務をすべて払います。(例えば取引先だったら買掛金、従業員だったら給与、銀行からお金を借りていたらローンを返済します)
これらの債務を全て支払い終わった後、まだ会社に財産が残っている場合、この残りの財産(残余財産)は株主のものなので、株主に払い戻します。その残余財産の払い戻しの際に、まず一定額について優先株主が優先的に受け取ります。これが残余財産分配の際の優先分配額です。多くの場合、優先株式の払込金額と同額にします。すなわち、優先株主は、投資元本部分までは、普通株主より優先的に受け取れるということです。(上記の通り、債権者には劣後します)
これに加えて、上で説明したように優先配当を累積型とし、未払累積配当額を優先分配額に加算するケースもあり、この場合は優先株主への優先分配額はさらに増えます。実質的には、優先配当率が実質的な金利分となり、出資から時間が経てば経つほど、優先株式への優先分配分が増加します。
これらについて、いうまでもないことですが、ローンや買掛金といった債権には劣後しますので、実際にその金額を受け取れるかは別です。もっとも、会社を畳んで清算する場合であれば満額受け取れないことが多いのではないかと思いますが、前述したように「みなし清算」条項を通じてM&A対価の分配にもこのルールが適用されますので、M&Aでイグジットする際に、優先株主がこの部分を優先的に受け取れる、という点がポイントです。逆に経営株主側からすると、この優先分配分が全て充当されるまでは、自分はM&A代金を受け取れないことになります。
(ii)参加・非参加
この優先分配額の分配を受けたうえで、さらに会社財産が残っている場合に、(1倍参加型であれば)普通株式と同額の分配を受けられるのが「参加型」、優先分配額の分配だけで終わり、残りはすべて普通株主に分配されるのが「非参加型」です。優先配当の項目で説明したのと考え方は同じです。
(iii)複数の優先株式の間での優先劣後関係
シリーズA、シリーズBと複数の資金調達ラウンドを積み重ねた場合、複数の種類の種類株式が存在することになるのが通常です。この場合、優先株式と普通株式の間の優先劣後関係に加えて、複数の優先株式(シリーズA優先株式、シリーズB優先株式)の間の優先劣後関係をどうするかという問題があります。あくまで優先株主間の問題なので、普通株主である経営株主にとっては直接関係のない話ですが、一般的には、後のラウンドで発行された優先株式(B種優先株式)を優先させるか、あるいは複数の優先株式を同順位にします。
(iv)みなし清算
これまで繰り返し言及してきた「みなし清算」条項です。残余財産分配と同じルールでM&A対価を分配する(すなわち、同じように優先株主に優先的に分配する)という条項であり、法的に、優先株式自体の内容として定めてよいのかという論点があるため、発行要項で定めるのに加え(又はその代わりに)「財産分配合意書」等の契約書を締結します。
なお、株式譲渡でのM&Aを想定すると、そもそも条件に合意した株主だけが売却すればいいだけなので、あらかじめ対価の分配基準について合意しておく意味があるのか、という疑問も出てきそうですが、ドラック・アロング条項など、強制的に売却できる条項との関係でやはり必要になります(対価の決定方法について事前に決めておかないとワークしないためです)。
(v)普通株式への転換(普通株式を対価とする取得請求権/取得条項)
優先株式が残っているとIPOが難しいため、IPO前に優先株式を普通株式に転換します。そのための条項がこれです。いくつかポイントがあります。なお、わかりやすく「転換」と書いていますが、正確には、会社が優先株主から優先株式を取得し、その高いとして優先株主に普通株式を交付する、という形式で、発行要項の定めはその表現で書かれています。
まず、優先株式をいくつの普通株式に転換するかです。普通は、優先株式1株を普通株式1株に転換します。ただ、株式分割(上述)を普通株式だけについて実行した場合、転換比率を変えなければなりません。すなわち、優先株式が発行された後、普通株式だけ1株を2株に分割していた場合、優先株式が転換する際に交付される普通株式数も2株に変更されていなければいけないためです。そのための条項を置いておきます。なお、このほか、転換比率については、ダウンラウンドが発生した場合の転換比率の調整という若干ややこしい問題があり、これについては後で説明します。
なお、要項上の転換の定め方ですが、以下のような算式が使われます。
取得比率=基準価額÷取得価額
「取得比率」とは、優先株1株が何株の普通株式に転換されるかです。「基準価額」「取得価額」は、当初は発行価額と同額です(したがって当初の取得比率は1になります)が、上に説明した株式分割や、後述するダウンラウンドでの資金調達などのイベントが発生すると、「取得価額」だけ調整し、結果的に「取得比率」が調整されます。
次のポイントは、「転換」を誰のイニシアチブで行うかです。これは、優先株主、会社双方に権利を与えるのが普通です。すなわち、まず、優先株主側に、保有する優先株式を普通株式に転換する権利を付与します。それとともに、取締役会で上場を決議した場合には、会社側にも、優先株式の保有する優先株式を強制的に普通株式に転換する権利を付与するのが一般的です。
最後に、若干ややこしいですが、ダウンラウンド時の調整条項です。ややこしいわりに重要性がそこまで高いというわけではないので、スタートアップの経営株主側としては、フルラチェット方式は避けた方がよく、加重平均方式にすべき、加重平均方式のうち、ブロードベース・ナローベースについては、ブロードベースの方が経営株主側に有利ではあるが、クリティカルな違いはない、という程度の認識でもいいと思います。とはいえ、どのようなメカニズムなのか知りたいという方向けに若干詳しく説明します。
まず、どういう条項かというと、ダウンラウンド(前のラウンドより低い発行価格での株式発行)が発生した場合に、すでに発行された優先株の普通株への転換比率を調整し、優先株1株につき、1株以上の普通株式と転換できるようにするものです。ダウンラウンドが発生した場合の既存の優先株主の持分希釈化(自分が投資したラウンドよりも後のラウンドで、安い払込価格で投資家が参加した結果、その投資家に持分比率の多くを持っていかれ、上場時における自らのアップサイドが減少してしまう)を緩和する意味があります。他方、この条項を定めることでIPO時の既存の優先株主の持株比率が大きくなる分、創業者・経営株主の持株比率が低下しますので、創業者・経営株主側としては不利益に作用する条項です。
調整条項は、「加重平均方式」と「フルラチェット方式」の2つがあり、加重平均方式の方が、調整の程度が緩やかになるため、創業者・経営株主側としては有利になります。具体的な例を使って説明します。
新規発行株数 | 発行価格 | 出資金額 | |
当初出資(経営株主) | 1400株 | 1,000円 | 1,400,000円 |
シリーズA優先株式 | 300 | 10,000円 | 3,000,000円 |
シリーズB優先株式 | 300 | 8,000円 | 2,400,000円 |
このケースでは、シリーズB優先株式の発行価格(8,000円)が直前のラウンドであるシリーズAの優先株式の発行価格(10,000円)より低く、ダウンラウンドになっています。シリーズA優先株式に転換価格(取得価格)調整条項が定められている場合、シリーズA優先株式の転換価格(取得価格)が引き下げられることになります。
まず、シンプルなフルラチェット方式から説明します。フルラチェット方式は、発行価格の低いシリーズBと同じ発行価格(8,000円)で優先株の発行を受けた(その分、たくさん優先株を発行してもらった)と仮定して普通株式を割り当てます。具体的には、シリーズA優先株式の発行価格である10,000円を、シリーズBの発行価格である8,000円で割った数値(1.25)を算出し、その分だけシリーズA優先株式の転換で交付される普通株式数を増やします。調整の結果、シリーズA優先株式を普通株式に転換した場合に交付される普通株式は、1株当たり1株から、1株当たり1.25株に増加します。
加重平均方式は、このシリーズA優先株式の(転換価格の計算との関係での)「発行価格引き下げ」を、シリーズB優先株式による株式増加率分に限り行うものです。つまり、シリーズBで発行される株式は、全体の15%(2000のうち300)にすぎませんので、10,000円(シリーズA優先株式の実際の発行価格)の、転換の計算上の引き下げを、2,000円(ダウンラウンドによる発行価格下落分)の15%分だけについて行う(2000円の引き下げのうち、15%分、すなわち、300円だけ引き下げる)というものです。したがって、10,000円の発行価格が、9,700円になった(その分もう少し株式を発行していたはず)と仮定して、普通株への転換数を計算します。フルラチェット方式では1株→1.25株に転換時の交付株式数が増加しましたが、加重平均方式の場合は、1株→1.031株の増加にとどまります。
加重平均方式の場合、フルラチェット方式と比べて、優先株式の普通株式転換後の株式数が小さくなりますので、経営株主の持株比率が高いままになり、フルラチェット方式より経営株主にとって有利になります。実務上も、加重平均方式の方が一般的なので、経営株主としては加重平均方式の採用を求めるのが良いと思います。
次に、加重平均方式の中で、「ブロードベース」と「ナローベース」というのがあり、その違いを説明します。これは、ダウンランドでの株式増加率の算定にあたり、既に付与されたストックオプションなどの潜在株式も、既発行株式数に含めるかどうかの違いです。含めると、既発行株式数が増え、ダウンラウンドでの株式増加率が小さくなりますので、その分、調整も小さくなることになります。その意味で、それを含めるブロードベースの方が経営株主側には有利ですが、通常、クリティカルな違いにはならないと思います。
以上、優先株の要項について代表的なポイントを解説しました。次回は、投資契約について解説したいと思います。
[ディスクレイマー]
本コラムは、お客様の参考として一般的な情報を提供するものであり、具体的な法的助言を意図したものではありません。実際の事案を検討される際には、別途法律専門家にご相談ください。