
このコラムでは、未上場スタートアップを株式譲受で100%買収するケースを想定して、法務デュー・デリジェンスのポイントについて説明します。
未上場スタートアップの買収の法務デュー・デリジェンスも、基本的には上場会社やそのグループ会社を買収する際の法務デュー・デリジェンスと変わりませんが、スタートアップの特性を踏まえ、一般的なM&Aとは重点の置き方を変える必要があります。また、とりわけアーリーステージのスタートアップのM&Aは、上場会社やそのグループ会社のM&Aと比べると取引金額が小さく、法務デュー・デリジェンスに割ける予算も少なくなるのが一般的です。またスタートアップ側でもバックオフィスが充実しておらず、広範な資料・情報提出要求に応えるのが難しい場合があります。このため、メリハリをつけたデュー・デリジェンスを行うことが重要です。
また、とりわけ伝統的な大企業がM&Aの買い手になる場合、ビジネス展開のスピードや企業文化において、通常の大企業のグループ会社と、M&A対象であるスタートアップとの違いが大きいことが多いと考えられます。そこで、他のグループ会社と同じような管理を買収したスタートアップにしてしまうと、スタートアップの良さを壊してしまいM&Aが失敗に終わるリスクが高まる懸念があります。スタートアップM&Aでは、スタートアップの企業価値の源泉であるスピード、イノベーションを起こす企業文化を残したまま、どのようにグループインさせてグループ全体の成長につなげるか、法務デュー・デリジェンスの発見事項を踏まえて検討することが重要になります。
本コラムでは、一般的な法務デュー・デリジェンスについての知見があることを前提に、スタートアップM&Aでとりわけ問題になりやすい点について説明します。
1.資本構成・株主
スタートアップでは、ベンチャーキャピタル(VC)、事業会社、エンジェルなど、タイプの異なる多くの投資家から資金調達を受けているケースが多いです。M&A提案への反応は、株主の属性によっても変わってくる可能性があります。例えば、ベンチャーキャピタル(VC)はフィナンシャル・インベスターですので売却価格に主たる関心があると考えられます。これに対し、事業会社の場合戦略投資の面が強いですので、投資の財務的リターンよりも、スタートアップとの連携への影響に関心がある可能性があります。
また、資金調達手段も種類株式・新株予約権など、さまざまなバリエーションがあり、多くの場合、スタートアップ・経営株主と、スタートアップに出資するベンチャーキャピタル(VC)などの投資家との間で株主間契約が締結されており、複数で創業した場合は、創業者間でも創業者間契約が締結されていることがあります。資金調達手段次第で、M&A対価の分配や必要なプロセスが変わってきますし、M&Aに必要なプロセスという点では、株主間契約に定められているプロセスも重要です(100%買収の場合は、基本的には全株主からの同意取得を目指すので、株主間契約上のプロセスの重要性は相対的に下がりますが、段階的買収など部分的な買収の場合は、より重要になります。)。
このように、株主の属性や投資背景、資金調達手段の内容や株主間契約の内容を適切に把握しておくことは、どのようなM&Aオファーを出し、どのようにM&A手続きを進めていくか、検討する上で重要な情報となります。なお、特に早い時点で投資した株主の中には、反社会的勢力など属性に問題のある株主が混じっている可能性もあり、この点にも注意が必要です。
また、とりわけ創業者の知人友人などが出資している場合は、伝統的な中小企業の事業承継M&Aでよくみられるように、株式の譲渡等が重なり、法的に見て誰に株式が帰属しているか明確でないケースもあります。アーリーステージのスタートアップでは、そもそも株主名簿が作成されていないケースもあります。株式の帰属は、株式譲渡によるM&Aを進めるにあたり基本的な確認事項になりますので、注意が必要です。
加えて、役職員などに付与しているストック・オプションの内容の把握も重要です。M&Aの際に処理が必要になり得ますし、今後の役職員のリテンションのためインセンティブ・プランを設計するためには、まず現状を把握しておくことが必要となります。
2.事業の適法性
スタートアップの中には、必要な許認可をとらずに事業を運営しているケースもあり、その場合は、許認可の取得など是正措置をとることが必須といえます。これに対して、許認可の要否など、ビジネスモデルの適法性が明確でないケースもあります。スタートアップの取り組む事業は、新規性の高いものが多いため、適法・違法の整理がはっきりついていないケースも少なくないためです。
ビジネスモデルの適法性が明確でない場合、グループ会社として取り込むことは困難としてM&Aを取りやめざるを得ない場合もありますが、ビジネス内容の修正で適法性を明確にすることができる場合は修正する、あるいは、M&A後にロビイングなどのルールメイキング活動などで適法性を明確化することを目指すといった判断もあり得ます。このあたりは、買い手側のコンプライアンスに関するポリシーやリスク許容度を踏まえて対応を検討します。
また、スタートアップはコンプライアンス体制が十分整備されていないことが多いため、M&A後に整備を図っていくことが重要になります。しかし、コンプライアンス体制の確保とビジネスのスピードはトレードオフになる面もありますので、事業のスピードに大きな負の影響を与えることを避けつつどのように有効性のあるコンプライアンス体制を構築するのかという視点も有用といえます。
3.知的財産などの無形資産
スタートアップの企業価値は知的財産やノウハウ・データのような無形資産に依存する部分も大きいため、スタートアップがどのような知的財産・無形資産を有しているか、まずは現状を把握することが必要になります。
スタートアップが特許権など必要な権利をきちっと確保しているかは重要なポイントですが、職務発明規程等の未整備、業務委託契約に適切な知的財産帰属条項が入っていない、あるいはそもそも必要な契約書が締結されていないことにより、役職員個人や業務委託先が知的財産権を持っている場合もあり、その場合は、クロージング条件として権利の確保を求めることが考えられます。また、ノウハウ・データなどについては、不正競争防止法上の営業秘密に該当し、保護を受けられるかの検討も必要です。
また、第三者の知的財産権を侵害していないか、の検討も必要になります。スタートアップのサービスが第三者の特許や著作権を侵害していないか、という点に加え、例えばオープンソースソフトウェア等を使ってサービスを開発している場合に、ライセンス条件を満たさず、著作権侵害になる場合もあります。また、創業者や他の役職員が前職で得たノウハウ等を用いて開発等を進めている場合、職務発明、職務著作などにより前職の会社に帰属している権利を侵害していたり、前職の営業秘密を侵害している可能性もあります。
なお、スタートアップは、オープンイノベーションとして大企業との共同研究開発等をやっている場合もよくみられますが、その場合、大企業との契約書でスタートアップに必要な権利が帰属するようになっているか、契約の中に、M&A後に想定している事業展開に障害となるような条項がないかの検討も必要となります。
4.労務
労務については、IPOを目前にしたスタートアップでは、IPO準備のため労務コンプライアンス体制の整備が進んでいることが多いですが、それ以前の段階では労務コンプライアンスが未整備になっている場合が多くみられます。
なお、労務は、一般的なM&Aで重要な調査項目の一つですが、労務のデュー・デリジェンスが重視される大きな理由の一つは、未払残業代等の潜在債務を算定し、デッド・ライク・アイテム(debt-like items)としての買収価格の調整につながる点にあります。他方、スタートアップの場合は、買収価格と比べた人件費の額が小さく、未払残業代等があったとしても買収価格に与える影響が小さい場合もありえます。そのような場合であれば、一般的なM&Aと比べて、未払残業代等の潜在債務の発見を目的とするデュー・デリジェンスの必要性は低いとも考えられます。なお、そもそも労働時間の管理がされておらず、偶発債務の金額の算定が困難なケースもみられます。
なお、スタートアップの企業価値の源泉は、イノベーションを生み出す企業文化にあり、特定のキーパーソンへの依存度も大きい場合が多いと思われます。これを法務デュー・デリジェンスの中に位置づけるかどうかは別として、M&A後の人事制度の設計やキーパーソンのリテンションの目的で、これらの事項について調査することは重要といえます。
5.契約
スタートアップでは、取引先との交渉力の差や法務審査体制の未整備を反映して、一方的に不利な内容の契約を締結している場合も考えられます。また、そもそも契約書を締結していない、あるいは一応契約書を締結しているものの、他の取引の契約書をそのままコピー・ペーストして作成する等して、取引内容に合致していない契約書になっているケースもあります。
特に、オープンイノベーションのための大企業等との業務提携契約で、事業に必要な知的財産権について契約相手方が持っている、あるいは使いづらい「共有」となっているケースや、チェンジオブコントロール条項や競業避止義務条項など、M&A後の事業展開に重大な影響を及ぼす条項が含まれているケースが考えられます。このような条項は、M&A後に予定されている事業展開に大きな影響がありうるものですので、確認が必要となります。
6.関連当事者取引
未上場スタートアップでは、伝統的な中小企業と同様、オーナーやその親族と間のアームズレングスではない取引が存在する場合もあります。また、例えば重要な特許などが、創業者名義で登録され、会社とのライセンス契約も存在しないこともあります。M&Aの実行にあたり整理が必要になりますので、どのような取引が存在するか確認し、解消方法を検討する必要があります。
7.その他のポイント等
・VCから出資を受けているスタートアップの場合は、出資の際にデュー・デリジェンスを受けるため、比較的デュー・デリジェンスに慣れていることが多いですが、その前段階の場合はデュー・デリジェンスに慣れておらず、また対象会社の人員も少ないため、必要な資料等が出てこない等、デュー・デリジェンスが円滑に進まない場合もあります。書類やQ&Aシートのやりとりではあまりスムーズに進まないため、早い段階でマネジメント・インタビューを行うなどして、経営陣から直接口頭で情報を得るのが有用な場合があります。
・スタートアップの場合は、投資家からの資金調達のため事業内容の説明資料や事業計画を作っていることが多く、早い段階で入手して会社の全体像をつかんでおくことが有用と考えられます。
・特にVC等から出資を受ける前のスタートアップでは、定時株主総会、役員の改選決議や登記もされていないケースも見られます。この辺りは、事業承継M&Aの対象となる中小企業に近いところがありますが、通常クリティカルな問題が生じる可能性は低いため、このあたりの調査に多くのリソースを割くのはあまり合理的でないことが多いと思われます。
このシリーズの他の記事:
1(スタートアップM&Aの特徴)
2(株式の取得方法)
3(M&A対価の分配)
4(ストック・オプションの処理)
5(法務デュー・デリジェンス)(今回)
6(基本合意書)
7(最終契約書(株式譲渡契約・運営合意))
8(段階的買収・2段階イグジット)
[ディスクレイマー]
本コラムは、お客様の参考として一般的な情報を提供するものであり、具体的な法的助言を意図したものではありません。また、分かりやすさを保つため、法的には厳密さを欠く表現にしている部分も多くあります。実際の事案を検討される際には、必要に応じて専門家にご相談ください。