スタートアップM&Aの法務:7(最終契約書(株式譲渡契約・運営合意))

このコラムでは、未上場スタートアップを株式譲受で100%買収するケースを想定して、最終契約書(株式譲渡契約・運営合意)のポイントについて説明します。


1.M&A取引における株式譲渡契約書の概要


M&A取引における株式譲渡契約書の典型的な構成は以下のとおりです。

① 譲渡対象・譲渡対価
② クロージング手続
③ クロージング義務発生の前提条件(CP)
④ 表明・保証
⑤ 誓約事項(コベナンツ)
⑥ 補償
⑦ 解除
⑧ 一般条項(秘密保持・準拠法・裁判管轄など)

①(譲渡対象・譲渡対価)は、何をいくらで売買する、という、売買契約である株式譲渡契約の最も中心的な条項です。②(クロージング手続)は、①の売買を実際に実行する方法(株券の交付や株主名簿名義書換、譲渡代金の送金)を定めています。

③(クロージング義務発生の前提条件(CP))は、どのような条件が充足すればクロージング(取引実行)の義務が発生するか、裏から言うと、どのような場合にクロージングを拒絶できるかを定めています。M&A取引では、通常、株式譲渡契約の締結日とクロージング日の間に開きがあります。その間に、M&A実行に必要な準備作業(チェンジ・オブ・コントロール条項のある取引先からの承諾の取得、重大な法令違反等の治癒、独占禁止法上の事前届出など)を行う必要があるためです。これらが完了していない場合、買い手企業はM&Aの実行を避けたいと考えますので、完了していないに場合はM&A実行を拒絶できるようにしておきます。それ以外にも、重大な表明保証違反などが発覚した場合も、対象会社などの実態が想定していたものと違っていたということですので、やはり買い手企業としてはクロージングを拒絶することを希望し、この場合もクロージングを拒絶できるようにすることが通常です。このクロージング義務発生の前提条件(CP)は主に買い手企業の利益を守るための条項ですが、売主側も、買い手企業側の手続不備や重大な表明保証違反などがあればクロージングを拒絶できるようにします(ただし、実際に売り手側から拒絶する場面は、それほど考えられません)。なお、この「クロージングの前提条件(CP)」と後に出てくる「解除」の関係は紛らわしいので、後で説明します。

④(表明・保証)は、売買当事者や対象会社について、一定の事項(例えば、計算書類の正確性)を「表明・保証」するのですが、その意味は、「表明・保証」した内容が間違っている場合に、クロージングの前提条件(③)が充足していないとしてクロージングを拒絶できる、補償条項(⑥)に従い被った損害の補償を求めることができる、解除権(⑦)を行使できる、ということです。表明・保証したから当然にそうなるわけではないため、③⑥⑦の条項の中で、そのように明記しておきます。

⑤(誓約事項(コベナンツ))は、M&A取引における付随的な義務を定めた条項です。株式譲渡契約における主たる義務は、「株式を引き渡す、代金を支払う」という、①②に定める義務ですが、M&A取引では、それ以外にも、「やるべきこと」が多数あります。例えば、独禁法に基づく事前届出をする、チェンジ・オブ・コントロール条項などがある取引先から承諾を得る、などです。また、クロージング日までに買い手企業の承諾なく対象会社が大規模な投資や配当をして、最終契約締結時に前提としていた姿と変わってしまうと買い手企業は困りますし、クロージング後に売り手が対象会社と競合する事業を展開したり、対象会社の役職員を引き抜いたりされても困ります。逆に売り手は、買い手に対してM&A後一定期間はリストラしないように求めることもあります。そのような「やってはいけないこと」も、この条項に定められます。

⑥(補償)は、一方当事者が契約上の義務や表明保証に違反して相手方に損害が生じた場合に、その損害を補償するという条項です。「補償」は「損害賠償」と機能的に似ていますが、民法などの法律の定めに従い発生する債務不履行(義務違反など)の「損害賠償」と、この「補償」は、概念上別物です。民法上の「損害賠償」は、債務不履行(義務違反など)と相当因果関係のある損害の賠償ですが、表明保証違反で損害が発生した場合も対象になるかは明確ではなく、そのため補償条項を定めておきます。また、補償条項の場合、債務不履行(義務違反等)がない場合(例えば、単に第三者から提訴を受けた場合)も対象にでき、場合によっては第三者の補償請求権を定めることもできます。このように設計の自由度が高いので、M&Aの株式譲渡契約では補償条項を定めることが通常です。

ところで、民法に基づく債務不履行(義務違反など)による損害賠償は、本来、法律の定めに基づくもので、契約書に損害賠償の条項を置かなくても請求できますので、単に補償条項を契約で定めた場合、株式譲渡契約に定める補償と、民法に基づく債務不履行(契約違反など)による損害賠償の両方を請求できてしまうのではないか、という問題があります。なお、これは同じ損害について二重に賠償金をとれる、という意味ではなく、例えば、補償条項である損害について賠償請求できないと定めたとしても、民法上の損害賠償請求としては請求できてしまうのではないか、ということです。このように両方請求できるとするとややこしいので、民法上の損害賠償など、株式譲渡契約に定められていない救済手段は行使できないと定めておくのが一般的です。

⑦(解除)は、重大な契約上の義務違反や表明保証の重大な違反の場合に、契約を解除できるようにする条項です。なお、クロージング後に解除されると後の処理が厄介なので、クロージング後は解除権を行使できない(補償請求することしかできない)とするのが一般的です。

ところで、③のクロージング前提条件が充足せず、クロージングが拒絶された場合も、(少なくともその時点では)取引が実行されなくなりますが、これと、⑦の契約解除はどのような関係に立つのでしょうか。基本的には、③の前提条件不充足でクロージングが拒絶された場合でも、⑦の解除権が行使されない限り、契約は残り続けます。③のクロージング前提条件が充足されない場合、クロージング日が繰り下がっていくものの、ある一定時点を過ぎると、⑦の解除権が発生し、契約を終了させることができる(そうすると、その後クロージング条件が充足してもクロージングはなされない)と定めている株式譲渡契約はよく見られます。他方、クロージング日として具体的な日付が定められ、かつ繰り下げなどの条項も定められていない場合もあります。この場合に、クロージング日に前提条件不充足としてクロージングが拒絶された場合にどうなるのかは、必ずしも明確でありません。当事者間で別のクロージング日を合意した場合はそれでよいと思いますが、そうでない場合に、「クロージング日」に取引を実行することは不可能になっているので、もはや(両者で別段の合意をしない限り)取引は実行されなくなるのか、それとも、契約がまだこの解除条項に従い解除されていない以上、前提条件が後日充足した場合に、他方当事者にクロージングを実行するよう請求できるのか、という問題です。基本的には、予定されたクロージング日に取引を実行しないと意味がないような場合、あるいは今後も前提条件充足の見込みがない場合を除き、後者と考えるのが妥当と思われますが、必ずしも明らかではないと思われます。この点について、民法・商法の催告解除・即時解除の規律(民法541条・542条、商法525条)も参考になりうるとは思われますが、M&Aの株式譲渡契約ではそもそも民法・商法上の解除権などの規定の適用は排除しておくのが一般的ですので、直接的には適用されないと思われます。

⑧の一般条項は、秘密保持・準拠法・裁判管轄など、よくある一般条項が定められます。なお、秘密保持について、M&A取引では、一点、一般的な契約とは異なる特徴があります。すなわち、対象会社の情報は、クロージング前に売り手側から提供された情報であってもクロージング後は買い手企業の秘密情報と扱うのが妥当であり、そのように明記しておくのが望ましいと思われます。


2.スタートアップM&A(100%株式取得)の場合の株式譲渡契約のポイント


(1) 取引のストラクチャ


多数の株主が存在するスタートアップでは、株式譲渡契約を誰と誰の間で、どのような形式で締結するのか、という問題があります。

このうち、1点目は、経営株主が他の株主から株式を全て取得して一括して買い手企業に売却するのか、それとも、買い手企業と各株主との間に直接株式譲渡契約を締結するのか、という点です。2点目は、1点目について後者を選択した場合、買い手企業と各株主との間に、それぞれ株式譲渡契約を締結するのか、それとも、買い手企業と主要株主との間で株式譲渡契約を締結したのち、他の株主が加入契約書(Joinder)に署名・交付する方法で行うのか、という点です。

なお、一部の株主が株式譲渡に応じない可能性もあります。その場合どう対処するのか、という問題もあります。例えば、クロージング条件として株式等売渡請求(会社法179条)が可能な9割の議決権を買い手企業が取得できるようになることと定め、譲渡に合意しない株主がいる場合は、買い手企業がクロージング後に行う株式等売渡請求に対して売主や対象会社が協力する義務を定めることが考えられます。

これらの論点については、スタートアップM&Aの法務:2(株式の取得方法)で議論していますので、そちらをご覧ください。


(2) M&A対価の配分


スタートアップでは優先株式など、普通株式とは異なる株式を発行していることが多く、その場合、M&A対価を各株主にどのように配分していくか、という問題があります。

この点は、「みなし清算条項」という株主間契約の条項で手当てされるのが通常で、「みなし清算条項」は定款にも定められることがあります。基本的には、この条項に従って配分することになりますが、これでは、普通株主へほとんど配分できず、適切なディールにならないと考えられる場合は、「マネジメント・カーブアウト」などを検討することもあります。

これらの論点については、スタートアップM&Aの法務:3(M&A対価の分配)で議論していますので、そちらをご覧ください。


(3) ストック・オプションの処理


スタートアップでは役職員等にストック・オプションを発行していることが多く、M&Aにあわせて、ストック・オプションをどう扱いうか決める必要があります。

この論点については、スタートアップM&Aの法務:4(ストック・オプションの処理)をご覧ください。

なお、最終契約締結日からクロージング日までの間にべスティング(権利確定)が進行し、かつどれだけべスティングするか確定していない場合(例えば、従業員の退職によりべスティングしない可能性もある場合)、処理すべきストック・オプションの総額がクロージング日まで決まらない場合もありえます。その場合、M&A対価総額やその配分に影響しまので、買い手企業との最終契約でどのように合意するかという問題もあります。


(4) 株主間契約上の手続の履践


株式譲渡によるM&Aでも対象会社で会社法などに従い一定の手続が必要になることが多く(例えば譲渡制限株式の株式譲渡承認)、これらの手続の履践はクロージング前の売主側の誓約事項(コベナンツ)として定められます。

これに加えて、スタートアップでは、投資家との間に株主間契約が締結されておりM&Aの際に適用される様々な手続・義務が定められています。このため、これらの手続・義務の履行を売主側の誓約事項として定めておく必要がありますし、そもそも、株式譲渡が、株主間契約上の手続・義務との関係で実行可能なものとして設計しておくことも必要です。


(5) アーンアウト


アーンアウトとは、M&A対価の一部を後払いとし、クロージング一定期間内のKPIに応じて金額が決まる仕組みです。

スタートアップM&Aにおいては、経営株主がM&Aクロージング後も対象会社経営者として残る場合、アーンアウトは、インセンティブを引き出す有効な仕組みになり得ます。もっとも、普通株主である経営株主に買収対価が交付されるレベルのM&A対価であることが前提です。それ以下の場合は、まず優先株主にアーンアウト分も交付され、普通株主である経営株主のインセンティブになりづらいためです。

また、スタートアップの場合は、企業価値の算定で将来の成長期待を織り込んだ金額となるため、企業価値算定が難しく、売り手と買い手企業との間で目線を合わせるのが難しい場合があります。このような場合に「アーンアウト」が解決策となり得ます。「アーンアウト」を設定してその分固定の買収価格を控えめにすることで、買い手企業からはスタートアップがクロージング後に期待したほど成長しなかったにもかかわらず多額のM&A対価を支払うことを避けられ、売り手は、クロージング後にスタートアップが大きく成長した場合に、それに応じた高い対価を受け取ることが可能となるためです。

なお、「アーンアウト」を採用する場合でクロージング時点で対象会社の経営から離れる場合は、売り手となる経営株主側から見ると、買い手企業がアーンアウトの支払を減らすことを目的に、対象となるKPIが低くなるように操作する可能性について注意する必要があります。このため、クロージング前と同様の態様で対象会社を経営する義務を買い手企業に課す等することが望ましいと考えられます。一方買い手企業側からすると、M&A後の対象会社の経営について制約が課されるのは好ましくないため、難しい交渉になり得ます。

これに対して、経営株主が対象会社の経営者として残る場合は、このような問題は生じづらいため、アーンアウトが上手くワークしやすいですが、売り手となる経営株主としては、KPIを達成するための十分な裁量を確保するようにしておくのが望ましいといえます。他方、買い手企業側からは、経営株主が、アーンアウトのKPIとして指定された指標(単体業績など)ばかりを追求し、グループシナジーが生じる取り組みを後回しにしてしまうのではないかという懸念があり得ます。

なお、アーンアウトについては、特に、個人である売主が後日受け取るKPI連動部分について、税務上の取扱いにも注意が必要です。アーンアウトは、実質的には株式譲渡対価の一部をKPIに連動させ後払いにするものですが、KPIに連動して金額が決まる後払部分について、譲渡所得ではなく雑所得と扱われる可能性もあります。雑所得の場合は総合課税となり、税負担がかなり変わってくる可能性があるため、注意が必要です。


3.経営株主のロックアップ・ホールドバックと経営委任契約


(1) ロックアップとホールドバック


スタートアップM&Aでは、クロージング後も経営株主が数年間程度子会社社長として対象会社(M&Aされたスタートアップ)の経営に当たることが求められることが多いです(ロックアップ期間)。これは、経営の円滑な引継ぎ、現経営者が抜けることによる他の役職員のモチベーションの低下などを懸念し、買い手企業が、経営株主に対して、一定期間は経営者としてとどまってもらいたいと考えるためです。

この場合、100%買収であっても、経営株主に支払うM&A対価の一部を分割払いにし(ホールドバック)、ロックアップ期間中に離脱した場合は、未払の部分を没収するというアレンジがとられることがあります。

なお、ホールドバックされた部分については、表明保証違反等による補償責任と相殺することもできますので、買い手企業にとっては補償条項の実効性を確保できるメリットもあります。ただ、対象会社の経営者である間にそのような請求・相殺を行うと、両者の関係が悪化し、対象会社の運営に支障が生じるおそれもありますので、表明保証保険などを活用することも考えられます。


(2) 経営委任契約


ロックアップ期間中の運営について、買い手企業と経営株主との間で締結されるのが「経営委任契約」です。具体的には、以下のような条項が定められることがあります。
・経営株主が一定期間対象会社の経営を行うこと、役職・任期・解任事由
・スタートアップの機関設計や役員構成
・経営者としての義務(善管注意義務、職務専念義務、競業避止義務、勧誘禁止)
・子会社管理規程の適用
・報酬

なお、買収した対象会社をどのように管理するかは、買い手企業のポリシー次第であり様々な考え方があり得るところですが、迅速に動きイノベーションを起こすスタートアップとしての良さをできるだけ温存する、という意味では、対象会社の取締役会に派遣する役員は少数(マイノリティ)にとどめる、子会社管理規程の適用も一般的な子会社とは異なる取り扱いをする、今のオフィスを残し社内システムもロックアップ期間中は統合しない、といったアレンジにより、対象会社(スタートアップ)の独立性を確保しておくことも考えられるところです。



このシリーズの他の記事:
1(スタートアップM&Aの特徴)
2(株式の取得方法)
3(M&A対価の分配)
4(ストック・オプションの処理)
5(法務デュー・デリジェンス)
6(基本合意書)
7(最終契約書(株式譲渡契約・運営合意))(今回)
8(段階的買収・2段階イグジット)

[ディスクレイマー]
本コラムは、お客様の参考として一般的な情報を提供するものであり、具体的な法的助言を意図したものではありません。また、分かりやすさを保つため、法的には厳密さを欠く表現にしている部分も多くあります。実際の事案を検討される際には、必要に応じて専門家にご相談ください。

2025.5.7
TOP